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なくそう・減らそう糖尿病:第6部・子どもの患者は今/3 


なくそう・減らそう糖尿病:第6部・子どもの患者は今/3



◇みんなで見守り、普通の学校生活


 糖尿病の子どもが円滑に治療を続けるには、保育園や学校などの理解と協力が不可欠だ。周囲の十分なサポートがあれば、子どもの患者は自らの可能性を狭めることなく、好きなことに挑戦できる。体内でインスリンを作れなくなる1型糖尿病の子どもを積極的にサポートした事例や、自身も糖尿病を克服して診療にあたる医師の姿を紹介する。

◇決まった時間、自分で血糖値チェック


保育園


子どもたちの元気な声が響く茨城県日立市の保育園。午前11時になると、友達と一緒に遊んでいた大樹君(5)=仮名=が「チェック行ってきます」と宣言し、部屋を出た。医務室に向かい、自分で血糖値を測定、鉛筆で表に数値を書き込む。いつもより低い値に、保育士が「午後(の血糖値)はどうなるかな」と尋ねると、大樹君は少し考え、「高くなる。おやつは持って帰ろうかな」と答えた。

 大樹君に異変が起こったのは昨年2月。おねしょが増え、両親と出掛けたテーマパークで、冬にもかかわらず500ミリリットルの清涼飲料水を飲み干した。地元の病院を受診すると、1型糖尿病と分かった。母親(35)は「医師に『治らない病気』と告げられ、頭が真っ白になった」と振り返る。

 数週間後、大樹君は東京女子医大糖尿病センター(東京都新宿区)に入院した。母親はそこで、糖尿病との付き合い方を一から学んだ。母親は「インスリン療法が生活の一部で、子どもにとって普通のことだという気持ちの持ち方も教わった」と話す。

 退院後、大樹君は保育園に再び通い始めた。インスリン療法をしながらの園生活だ。大樹君を特別扱いせず、病気についても隠さないのが園の基本方針。低血糖に備え、臨時に糖分を補給するあめについては、保育士が他の園児にこう説明した。「大樹の病気はあめがお薬。みんなの前でなめてもいいかな」。園児たちは「いいです!」と元気に答えたという。遠足などで外へ出掛ける時は、血糖値の測定セットやあめなどを入れた「命のバッグ」を自分で携帯させるようにした。

 園生活を支えてきたのが、手書きの連絡帳や携帯電話・メールを駆使した保育士と母親の密接な連携だ。朝食の時間と内容は、母親が必ず園に伝える。大樹君の場合、園では昼食前と午後のおやつの前に血糖値を測り、異常がある時はすぐに母親に連絡するよう決めている。

 主任の保育士(37)は「大樹は少しずつステップを踏んで成長してきた」と語る。最近では「命のバッグ」を忘れることもない。1年前から血糖値の自己測定をしているが、次の目標は、自分でインスリンを注射できるようになることだ。園長(63)は「厳しいようだけれど、あと半年で大樹は小学生になる。もう自分のことは自分でできないとね」と話す。

 発症から1年半。真っ黒に日焼けした我が子を見つめ、母親は笑顔で語った。「みんなで見守り、助けてくれている。大樹はみんなに育てられてここまで来た」



◇「他の子と公平に接するのが大事」


小学校


「今度は(大学の)受験勉強です」。今年の正月、茨城県ひたちなか市に住む女性教諭(51)=3月に退職=のもとに年賀状が届いた。差出人はかつての教え子の少女(17)。少女は3歳で1型糖尿病を発症してインスリン療法を始めた。2人の出会いは10年前にさかのぼる。

 教諭は、少女が同市内の小学校の1、2年生の時に担任した。糖尿病の児童を受け持つのは初めて。「目の届かないところで低血糖発作が起きたらどうしよう」という不安もあった。

 だが、入学式の日、校長や養護教諭らも交えて面談した席で、母親はこう話した。「他の子と全く同じように接してください。運動も普通にできますし、食事は何でも食べられます」。教諭は「児童と公平に接することが教師にとって一番大事なこと。お母さんの言葉で大丈夫かなと思えた」と振り返る。

 それでも、低血糖発作の危険はつきまとう。発作予防のため、糖分を補給するグルコース(ブドウ糖)の包みをポケットに常備した。教諭は昼食前の4時間目、少女の顔色を特に注意して観察した。あくびやぼーっとした様子、ノートの字が乱れた時は低血糖のサイン。「グルコースいる?」と声をかけ、少女が空腹を訴えた時はその場で食べさせた。

 役立ったのが、保護者への連絡などを記録する連絡帳だ。母親は毎日、朝の血糖値や注射したインスリンの量、体調を報告。教諭も、昼の給食の食べ具合や学校での様子を書き、病気について分からないことを尋ねた。

 1年生の11月、母親から提案があったのも連絡帳だった。母親が学校に来て打っていた昼のインスリン注射を、少女が自分で打てるようにすることの提案。「名案だと思います」。そう返事した教諭の予想通り、少女は教諭が見守る中、手際よく注射をすませた。

 「さりげなく接することが、お母さんと私の共通理解だった」と教諭は語る。他の児童がグルコースに興味を示した時も、必要以上の注目を浴びないよう工夫するなど、少女が伸び伸び過ごせるよう気を配った。2年間に交わした連絡帳は11冊に上る。「本当に心身共に健やかに育っていますね」。最後のページで教諭はこう記した。

 少女は今、高校の女子サッカー部で活躍し、県の選抜チームのメンバーにも選ばれた。毎年の年賀状に添えられた言葉から、少女の成長ぶりが伝わる。「教師冥利に尽きる」と教諭はほほ笑んだ。


◇きちんと管理、マラソンもできる


病とともに30年


日本糖尿病協会は今年から、「チーム・ダイアビーティーズ・ジャパン(日本糖尿病チーム)」という新しい啓発活動を始めた。糖尿病の患者や医療関係者らがおそろいのTシャツを着て、各地のマラソン大会を走る試みだ。自分の体について知り、正しく血糖管理すれば、過酷なスポーツだって不可能ではないことを広めるのが狙い。その旗振り役の一人が、福岡市南区の糖尿病専門医、南昌江さん(44)だ。

 南さん自身、14歳の夏に1型糖尿病(当時の病名は小児糖尿病)と診断され、インスリン投与を続けてきた。糖尿病との付き合いは30年になる。

 当時は、1型糖尿病への社会の理解度が低く、「ぜいたくをしたせいか」などと言われ、よく悔しい思いをした。「合併症で30歳までしか生きられない」とも言われていた。高校生の時、一緒に糖尿病サマーキャンプに参加した年下の子たちを見るうち、「医者になって役立ちたい」と進路を決めたが、「30歳なら卒業して5年ほどしか医者として働けないのか」とも感じてきた。

 しかし、患者の頑張る姿に励まされ、「まだまだ私もできる」と39歳の時、同僚医師が勧めるホノルルマラソンに参加。低血糖対策で8キロごとに2単位(160キロカロリー)分ずつ飲食物を補給しながら、完走を果たした。事前にインスリンを打つタイミング、低血糖の補食の取り方などに画一的な方法はない。「普段から自分の体をよく観察し、自分に適した方法を見つけることが重要」という。

 それ以前は、「私には、フルマラソンなんて無理」と、自分で自分に限界を設けていたという。「よく考えれば、糖尿病は自分次第でコントロールできる幸せな病気です」と話す。完走後、改めて「やりたい医療に挑みたい」と借金して自らの医院を建設した。

 「糖尿病の管理は、人生のいろいろなことの管理にも通じる。小さいころから慢性疾患だと、どうしても周りは甘く接しがちだが、社会ではそれでは通用しない」と南さん。小学3年以上の子どもには親の同伴なしで診療を行う。自己管理は本人が行う必要があるからだ。そのため、連絡なしに予約をすっぽかす患者は容赦なくしかる。

 参加5回目の昨年のホノルルマラソンでは、カナダや豪州の糖尿病チームにも出会い、今後の交流を約束し合った。チームの仲間は現在約70人。「今年は抽選に漏れて参加できなかったが、来年の東京マラソンではぜひ完走したい。目標を作り、元気が出ることをやっていきたいですね」と話している。

-毎日新聞-
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[2007/08/31 09:24] 糖尿病 | TB(0) | CM(0)

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